どうも、たかです。
今回は、
『依存と自立』がテーマです。
「依存しているよりかは
自立している方がいいよな」
これが一般的な感想だと思います。
でもどこからが依存でどこからが自立なのか
線引きは人によって違うので
未だにあいまいです。
「何かしらの基準があると助かる」
と思われる人も多いのではないでしょうか。
記事を見ていただくことで
これからの人生の立ち振る舞いの
参考にしてもらえればと思います。
”自立”と”依存”のメリット、デメリット
”依存”と”自立”相反する意味合いの言葉です。
”依存”の言葉には悪いイメージ
”自立”の言葉には良いイメージ
が世間一般的についています。
生きていくのは大変です。
大昔だと自立していないと道具が作れず
狩りが出来なかったことでしょう。
下手をすれば死。
これは現代にも通ずるところがあります。
自立していた方が周りの人たちがいなくなった
ときに困ることがなくなるからです。
誰かや何かに依存している状態だと
依存の対象が無くなったときに
強い孤独感や無力感が襲ってきて
下手をすると精神病に罹りかねないからです。
自立していれば何か危機に直面した場合でも
冷静に対処できます。
他にもメリットがあり
・生産的になり活力がみなぎって
より人生を楽しめる。
・魅力的になる。
・理想が実現できる。
などあります。
”自立状態”と”依存状態”の違いとは?
自立と依存の問題は他人がとやかく言う
道理は本当のところないのです。
なぜならその人が本当に自立しているか
依存しているかは本人にしか分からない
からです。
どういうことかと言うと
自立や依存は精神に関わることだからです。
精神の動きは人から見ることはできないのです。
だから他人はとやかく言うことができません。
ニートが批判されるのは批判したい人がいるから。
批判したい人はニートがうらやましいのです。
むしろ批判している人の方が依存気質なのかも。
ニートは働いていなくて実家に引きこもっているから
はたから見たら依存しているように見えるのでしょう。
実家暮らしで引きこもり = 依存
にはなりません。
肉体的には親に依存しているかもしれませんが
精神面では依存していないからです。
大正時代以前は実家暮らしが当たり前で
一番稼いでいる人(父親)が
家族を養うのが普通でした。
養われている人全員が”依存気質”
かと言うとそんなわけないですよね。
世間一般の常識は時代とともに
変わってゆくものなので
気にしないのがいいです。
たとえニートでも精神さえ依存して
いなければ問題はないのです。
なので
生活依存はあってもいいと考えます。
世間が認めてくれなくて
「どうせ私なんか生きてても
邪魔なだけだ…」
と思うのは、社会依存が考えられます。
依存してしまう人は
受け身なことが多いです。
”自立”に精神を持っていくには
自分から動き出すことが必要です。
受けとるより、与える。
世間を認めさせる
もしくは世間に認められなくていい
から自分の道は自分で作るのがいいでしょう。
逃げるより攻める。
アルコール依存などの快楽依存は
自分の弱さから逃げることが
くせになったために
引き起こされているのではないでしょうか。
精神の依存は執着を生み出します。
両極端ではない
最後に
”自立”と”依存”は両極端ではない
ことをお話しします。
”自立”と”依存”の間には”プチ自立””プチ依存”
が存在します。
”プチ”とは
「完全には極端な状態じゃない
けれどもどっちかというとこっち側」
の状態です。
これも他人がとやかく言うことではなく
本人がどう思っているかによります。
線引きは難しく考えなくていいです。
直感的に自立してるか
依存してるかは決めていいのです。
自分なりの
スケールで区分けしてみてもいいです。
それはザックリでもいいし
細かくてもいいし自由です。
自立への向かい方は一つだけ
”向上心”です。
ドラゴンボールの孫悟空が
「おらぁ、強くなりてぇだ!」
と思ったのが
それが向上心。
真面目にならなくていいです。
肩の力を抜いてリラックス。
さぁ
”おらぁ、強くなりてぇだ!”
を目指して生きましょう。
その先にはまだ見た事のない
ステージが待っています。
ワクワクしますね。
P.S.
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