はじめまして
たかと申します。
以前僕は
劣等コンプレックス!!
そういう感情を抱えていました。
なんだよそれ?
わかんねーよ!
って思いますよね。
突然すみません。
簡単に言うと
自分が他人よりも劣っていると
思うことです。
この劣等コンプレックス
何が大変かって
・自分のことが好きになれない
・自分を否定する
・不幸だと思い込む
・毎日楽しくない
・生きていて虚しい
etc…
と、とにかく
精神的に悪い状態がずっと続いていました。
寝ても覚めても
頭の中が劣等コンプレックスで
いっぱいになって
みじめさを感じて
苦しかった。
毎日がうつ状態でした。
精神面では
・人に会いたくないと思うようになり
・起きている間気持ちはうわの空
・時間があればぐるぐる同じことを悩み続ける
etc…
身体面では
・息苦しさや動悸を感じる
・過眠がひどく日中も眠い
・手足のしびれ感
etc…
なぜこんなことになってしまったのか…
気になります?
当たり前ですけど
劣等コンプレックスって
なりたくて
なったわけじゃないんですよ!
誰がなりたいんだよ!
って話ですよね。(笑)
もちろん、なるに至った経緯が
あるわけで…
劣等コンプレックスは
さまざまな感情が
入り乱れて起こるんですよ。
なので的確にこれが原因だ!
っていうのは突き止めにくいんですよね。
でも、たくさん原因があるっていうのは
分かります。
一般的にどんな原因で
劣等コンプレックスになるのか
挙げていきたいと思います。
・容姿が整ってるか整ってないか
・能力が高いか低いか
・お金を持っているか持ってないか
・社会的地位があるかないか
こんなところですね。
僕が劣等コンプレックスを抱いてしまった
原因は片親&貧乏&低学歴
大きいところで言うとこのあたり
だと思っています。
ですがこの劣等コンプレックス
治るんです!!
僕が生き証人です。
きちんと体験的に治りました。
本当に治ってんの?
医者じゃないのに分かるの?
出しゃばんな!
引っ込んでろ!
このペテン師が!
そう思っている方たちは
見ていただかなくて結構です。
というのも
ここまで来るのまでに
僕はたくさんの失敗を
経験してきました。
でも、一歩を踏み出したからこそ
今の僕があるんです。
劣等コンプレックスを抱えて
悩んでいる方や不幸を感じている方。
僕の失敗談を含んだストーリーを
ぜひ見てほしいです。
少しでも勇気づけられたり
一歩踏み出してみようかなって
思えてもらえたら光栄です。
『こんな自分は嫌だ…』
コンプレックスを
抱え続けてきた26年間を
一挙公開。
劣等コンプレックスを解消して
人生大逆転したストーリー。
改めて…はじめまして
たかと申します。
2023年5月現在
29歳 田舎の町工場で働いています。
今ではすっかり劣等コンプレックス
を感じることはなくなりました。
相変わらず片親&貧乏&低学歴(笑)
で環境は変わっていませんが
人と比較して
悩むことがなくなりました。
その証拠に当時の僕だったら
絶対に書けないことを
書いてみます。
・転職5回経験
・1年ニート経験
・彼女いない歴=年齢
・親が作った飯を食っている
・エアコンがなくて虫が入ってくる
築80年のボロい実家で暮らしている
ついでに言うと僕の今の状態
の紹介にもなってます。
劣等コンプレックスを抱えている人が
こんなこと書けますか?
書けないですよね。
書いたところで
虚しさが込み上げてきて悲しくなり
自分をどうしようもない奴と思って
否定するだけですからね。
それでまた悩み続けて
しんどくなるんだよね。
僕は劣等コンプレックスを捨てたので
自分を否定することもないし
書いたところでなんとも思っていません。
プライドがないのとはまた違います。
「やーいやーい。転職5回も
しやがってこのニート野郎」
ってバカにされたら
ちゃんとキレますけどね(笑)
ま、これは冗談として(笑)
アレッ?
「プライドを捨てたから
劣等コンプレックスが
なくなったんじゃないの?」
と思われた方もいるかと思います。
ええ、もちろん捨てましたよ。
他人と比較するプライドはね。
要は劣等コンプレックスとは
他人より劣っていると
自分が勝手に思い込んでいる
だけなんですよね。
だから自分を評価するときの基準が
いつも他人なんですよ。
例えば同じクラスの自分と似た
ような子がテストで100点を取って
自分が30点しか取れなかったら
なんでアイツが100点でオレが
30点なんだよクソって思って
落ち込むとするじゃないですか。
それは100点を取ったその子が自分の
評価基準になっているから
劣等感を持つんです。
他人と比較するプライドを
自分と比較するプライドに
変えるといいんですよね。
だっていつも勝手に他人と比べて
毎回コテンパンに負けてたら
腹が立つじゃないですか。
でもカッと感情を表に出さないんですよね。
内側に押し込めてしまうんですよね。
そりゃあ毎回負けてたら
逃げたくもなりますね。
比べるのは過去の自分
だけでいいんです。
自分自身と比べるんなら
どんな気持ちかも
分かるじゃないですか
そこで自分から逃げてるなと感じたら
逃げない。
自分から逃げても
追いかけてきますからね。
しつこかったですよ。
それだけ嫌なことがあったんですよね。
負けず嫌いで自分を
どんどん成長させていける人は
自分と比較したプライドを持っているから
成長していけるんだと思います。
他人と比較してそうに思えますが
あくまで比較するのは自分。
競争相手を作ることで
目指す目標をはっきりとさせて
その目標を達成するために
自分自身と闘う。
だからプライドは
自分自身に向けられたもの。
競争相手はプライドを燃やすための
燃料です。
自分自身に向けるプライドは
人それぞれあっていいと思います。
ちなみに僕のプライドは
人生を暇つぶしだと思って
楽しむことです。
でもプライドも持ちようですからね
あんまり強く持つと逆に
プライドにしばられて
動けなくなりますから
ほどよいバランスは必要ですね。
コンプレックスを捨てたおかげで
悩むことがなくなり
前向きに生きることが
できるようになりました
なので不幸だと思うこともないし
生活環境が貧乏ならその環境にあった
幸せを見つけていけばいいと思います。
小さなことでもいいんですよね。
晴れていたとか。
テレビで見たしょうもないことに
笑える自分がいたとか。
なんかねぇ幸せを感じる
コツがあると思うんですよ。
そのコツは僕的には
今この瞬間を楽しむってこと
だと思うんですよね。
小さなことを幸せに感じる
そんな僕ですが…
劣等コンプレックスが
顕著に表れはじめたのは
高校卒業して新社会人の頃…
介護職の俗に言う3K職場
(きつい・汚い・給料安い)
で働いていて
こう思うようになりました…
今頃同級生は名門大学で女の子と楽しく
いちゃいちゃケツでも触って豊かな
キャンパスライフを送っているんだろうな
なのに僕はおじいちゃんの世話で手にう○こが
付きながらケツを拭いてあげている…
なんでこうなった…
その時みじめさと悔しさと
大学に行かなかった後悔が
込み上げてきて目頭が熱くなりました。
笑えますよね…
冗談っぽく書きましたが
他人と比べるプライドが
高かったから
本当に辛いんです。
しんどいんです。
悩ましいんです。
人に見られたら嫌なので
そのとき涙は見せませんでしたが
昼休憩中一人のとき
ポロポロと勝手に涙が
出てきていました。
泣いてる自分も情けなくて
弱い自分を受け入れることができず
自分を嫌いになりました。
(思い出しますね…記事を書いてて涙が・・・)
おっとっと。
気分が暗くなる前に気持ちを
切り替えていこう。
ハイッ!
明るくしていきますよ!
このときの事を仮に
「おケツ事件」と名付けておきますね。
と、いうことで
僕が劣等コンプレックスを抱えた
原因についてまだ話してなかったので
話しておきます
僕は鳥取県の田舎で育ちました。
両親は物ごころつく前から
離婚してました。
母は精神に疾患があり
それが原因でした。
きっかけは母の発狂でした。
居間にいた父と僕に向けて
果物ナイフを向けてきたそうです。
そこで思いとどまってくれて
良かったですが
一歩間違えれば
警察沙汰になってました。
その一件の後当日中に
父が母を車に乗せて母の実家が
ある島根まで送り届けました。
それっきり母とはしばらくの間
あえませんでした。
(大人になってから母から
話を聞きましたが
僕を抱きかかえて山に行って
心中を図ろうとしたこと
があったみたいです…)
ゾッとしますね…
そんなこんなで父のもとで
育てられました。
一人っ子です。
5才かそこらのときに母に会う機会
がありました。
たぶん僕が会いたいって
言ったんでしょうね。
母の実家で会いました。
母がたの家はひいおじいさんが医者で
おじさんが大きな会社のエリートです。
俗に言う優秀な家系ですね。
そのときに優秀でなければならない
という価値観が心のすみに植え付けられた
のかもしれません。
この価値観がおそらく
「学歴コンプレックス」
を引き起こしたと思います。
父の実家は貧乏です。
子どもは案外親に気を遣うものです。
なので僕も例にもれず
親に気を遣い欲しいものがあっても
ねだりませんでした。
あまりしゃべらない
おとなしくてがまんする子でしたね。
服はよれて破れるぐらいまで着ましたし
父子家庭なので掃除は滅多にしない。
だから家の中で体を動かして遊べば
ほこりが宙に舞うのが見えました。
そんな空気を吸うもんだから
鼻炎にもなりました。
小学校で遠足があるときなんか
みんながキャラ弁とかキラキラ飾りつけ
がしてある弁当なんですけど
僕だけデカいおにぎりでした。
具は昨日の残りで
こんにゃくとかから揚げとか入ってたな。
イメージで言うとコンビニに売ってある
爆弾おにぎりですね。
それの海苔が巻いてないバージョン。
弁当箱には入ってないです。
ラップに包まれてました。
嫌でしたね…
なにが嫌って人に見られるのが嫌でした。
子どもは『みんなと同じ』にこだわります。
だから「見られたくない」
素直にそう思いました。
なんたって爆弾おにぎりは
僕一人だけでしたからね…
お母さんに作ってもらった
弁当が食べたかったな…
すみません。
愚痴のようになってしまいました。
でも文句はあっても親に気を遣って
口には出しませんでしたね。
「お母さんがいなくてさみしい」って
言うと父が困るだろうと思ってましたね。
僕なりの優しさだったんだと思います。
小学校高学年ぐらいのとき
やっぱり母がいなくてさみしいと思い
一人泣いてましたね。
生活環境が
「片親&貧乏コンプレックス」の
原因になったんだと思います。
中学時代は勉強についていけず
夏休みの宿題を丸々やらずに
先生たちに怒られることもありましたね。
ゆとり教育なんで手は出されません
でしたが口では叱られました。
ある先生は感情をあらわにして怒り…
ある先生はあきれ顔で怒り…
ある先生は将来を心配して怒り…
むしろかまって欲しかったのかも
しれませんね。さみしいから…
周りの子たちともびみょーな
距離感があり友達といえる人は
ほんの数人だと思います。
あまりしゃべりませんでしたからね
面白くなさそうだから友達になって
もらえなかったんでしょうね。
当時は陰キャという言葉がありません
でしたが僕は陰キャだったと思います。
他人と比べるプライドが高いから
自分のことを陰キャ
と思うのも嫌だけど
現実陰キャだし勉強も
できないから現実と理想の
ギャップに悩み悶々とした
日々を送っていましたね。
学力もなかったため
底辺高校に進学しました。
底辺高校だから不良もいる
かもしれないし舐められたら
終わりだと思っていました。
僕が入学するぐらいのとき
不良映画「クローズZERO」
が流行っていました。
カッコいい!!と思いました。
高校デビューしよう
かなと思いましたね。(笑)
たばこ吸ったり喧嘩とかしました。
人の顔を殴った後って
すごい罪悪感があります。
いつまでも記憶に残ります。
もうトラウマレベルですね。
本当に申し訳なくて
合わせる顔がありません。
素手で顔を殴られもしました。
星が見えるっていいますけど
あれ、本当ですね。
電車内でいきなりクラスメートが
キレてきたこともありました。
頭を叩かれてそばにあった
鉄製のポールに顔をぶつけ
眉のあたりから
血がドバドバ出た
こともありました。
神経が高ぶってるから
不思議と痛くないんですよね。
お風呂に入った時も
痛くなかったですね。
どうやら眉のあたりは
あまり神経が通ってないみたいです。
医者に行って
縫ってふさいでもらいましたが
傷が残りました。
カツアゲみたいな
外道なことはしませんでしたね。
というか根がやさしいから
やろうと思わなかった。
男5人ぐらいに囲まれて脅されて
恥をかかされたこともありました。
【刺激がとても強いので書きたくありません。】
やさしいから不良になりきれませんでした。
「僕には向いてないな」
そう思うことで逃げたんだと思います。
不良道を貫き通せませんでした。
進学校に行けず落ちこぼれて…
不良にもなりきれず落ちこぼれて…
同じようなことをぐるぐる
悩むようになりましたね。
なんでこんなに悪い事
ばかり起こるんだろうだとか
なんのために生きて
いるんだろうだとか
思うようになりました。
はたからみたらボーっとしてたんで
なに考えてるか分からない奴
だったと思います。
ある先生が僕の後姿を見て
「哀愁が漂っているね」
って言われました。
はたから見ても分かるくらい
どんよりしてたんだと思います。
高校でも友達と言える人は
ほんのわずか…というか一人。
まぁ、なに考えてるか分からない
ような奴だったから嫌煙されるのは
当たり前ですよね。
在学中大学に行きたい気持ちが
出てきました。
「このままだと落ちこぼれの
人生になるかもしれない」
焦りはありました。
だけど貧乏なのでムリと思ったのと
今から勉強してもムリ
とも思いましたね。
奨学金を受けつつアルバイトを
しながら通うことも考えましたが
しんどいことはしたくないと
思い諦めました。
このときからもう逃げていたんだと思います。
介護職を選んだ理由は学校に
置いてあった求職票の中で
給料が比較的良かったのと
対人関係に苦手意識があったので
改善も兼ねて選びました。
全然興味はなかったんですけど
なにか選ばなくちゃいけなかった
から選んだだけですね。
やりたい仕事はなかったです。
夢もありませんでしたし
夢がある子がうらやましいと
思ってました。
中学時代は陰キャで
高校時代は不良になりきれず
芯がないというか
パッとしない人生でした。
それで『おケツ事件』まで繋がります。
介護職になるまでにも散々嫌な思いを
してきました。
そしておケツ事件の発生…
みじめさと悔しさと
大学に行かなかった後悔が
一気に押し寄せてきました。
その上3K職場
(きつい・汚い・給料安い)
夜勤もしんどかったです。
繰り返しになりますが
このときの僕はうつ状態。
生きていて虚しく過去のことばかり考え
ご飯の味がしなくなりました。
もう嫌だ!
人生変えたい!
そう思いました
当時の僕は苦しさからも逃げていて
なんで苦しいのかも
本当は分かっているはずなのに
分かろうとしませんでした。
過去のことばかり気にして
あの時頑張っていれば…
優秀になれなかった…
非行に走ってしまった…
後ろ向きで逃げの人生でした。
どうしたらいいか考えて
まず大学に行こうと考えました。
たくさんのクエスチョンが
頭の中に浮かんできました。
今から行ったところで何になる?
どこの大学にいくの?
お金は?
仕事と両立しながら?
どのくらい勉強したらいいの?
etc…
進学は現実的じゃないと思って
諦めました。
でも諦めきれません。
考えました。
悩むほど考えました。
そして一つの答えを導き出しました。
【『大学に行くのを諦める』
ということを受け入れる】
たくさんの理屈や言い訳で
大学に行きたい気持ちを抑えて
諦めることが正しいんだと
自分に言い聞かせました。
一応は受け入れました。
でも完全には受け入れきれませんでした。
心のモヤモヤが晴れませんでした…
コンプレックスは受け入れるのが
正解だと思うことにしたので
片親なのも貧乏なのも
受け入れきれないけど
受け入れることにしました。
進学は一応納得して諦めました。
働くことには嫌なイメージしか
ありませんでしたが
転職することにしました。
転職の仕方も分からなかったので
ハローワークだけで探しました。
「ハローワークには良い仕事はない」
そういう前情報は持っていたけど
いざ見ると本当にそうでした。
大学に行ってたらマシな
仕事に就いていたろうに…
という後悔が込み上げてきましたが
大学に行かないと決めたので
がまんしました。
特にやりたい仕事もなかったので
求人の中でも条件が良さそうな
会社を選びました。
酒屋に勤めることにしました。
酒の配達が主な仕事内容です。
勤めた理由としては
・車には興味があるので
車と関わりがある仕事で選んだ
・ちょっと変わった仕事
がしてみたかった
・夜勤がない
・変則勤務じゃない
・配達する仕事だと
車に乗ってる時間が長いので
安気に仕事ができると思ったから
・対人関係にまだ苦手意識があるから
克服もできたらいいと思っていた
ただ、働いてみるとそんなに
良い環境とは言えませんでしたね。
・休みは日曜のみ
・大型連休こそ忙しい
・有休休暇を誰も
取らないから取れない
・8:00~21:00まで労働する日がある
・上司がうざい
・意外と重労働
嫌でしたが介護のときよりかは
精神的にまだ楽でした。
職を変えてみて分かったことは
肉体的にきついよりも
精神的にきついほうが
よりしんどい
ということが分かりました。
特に嫌だったのが忙しくしているときに
上司が電話を掛けてきて
「早くして!」って言って
焦らせてくるのが嫌でしたね。
その数時間後にもう一回電話掛けてきて
「早くしろや!!」
ってキレられましたからね。
うざいですよね。
実際に配達しているのは僕なのに
お前にこの忙しさの何が分かるの?
って思いましたからね。
上司が僕のことを嫌っている感じが
伝わってきました。
離職率が高い会社でもありました。
そのため配達先の店舗の方からの
視線も冷ややかでした。
「君もどうせ辞めるんでしょ」
こう思われていたと思います。
人間関係が苦手なので
そう思われるのは耐え難い苦痛でした。
行く先々で
「酒屋さん、また人辞めたの?」
「はい、すみません。
これからお世話になります。
たかです。」
あいさつはいつも謝罪から
始まっていました。
0からのスタートでなしに
-1からのスタート
僕が悪いわけじゃないのに
謝らないといけない。
人嫌いになりそうでした。
『働くということはつらいこと』
という認識が強化されました。
「辞めてしまおうか…」
そう思うこともありましたが
「ここで辞めたらまた落ちこぼれる」
そう思ってがまんしながら続けました。
あとで分かったんですけど
落ちこぼれると思うのは
他人と比べるからそう思うんですよ。
だから落ちこぼれたと思って
落ち込む必要はなかったんですよね。
今まで半端な生き方をしてきました。
「ここで逃げたら過去の自分に
戻るかもしれない」
そう思ったので仕事がつらくても
がまんして続けました。
仕事ばかりの日々でした。
週に一回しかない休みの日といえば
自分の過去の行いを後悔したり
会社のことを考えて
辞めようか辞めまいか悩んだりしたら
すぐに一日が過ぎてしまいました。
「僕、仕事しかしてないな…
これがずっと続くのかな…」
そう思うようになりました。
僕は22歳になっていました。
4月、大型連休前の土曜日
その日は忙しく働いていました。
時間指定の配達があり
時間に追われていました。
僕が急いで積み荷を車に載せている間
上司がやってきて
「早く、早く」
嫌味に聞こえました。
焦る気持ちと同時に
怒りが込み上げてきましたが
がまんしました。
配達先に向かっている最中
「もう22歳か…
大学に行ってたら卒業する年…
僕は上司に嫌味を言われながら
奴隷のように働く日々…
本当だったら大学生活を
エンジョイして希望の就職先で
明るい未来のはずだった…」
卑屈になりました。
今までの人生にあった
嫌なことを思い返しました。
悔しすぎて自分の頬を
本気で殴りました
大の大人が号泣しましたね。
泣いてる自分もみじめで
更に泣きました。
結局、コンプレックスを受け入れる
という考えは失敗でした。
転職も失敗。
職を探していたとき
島根にいる母の兄から
母を通して職の紹介が
ありました。
大企業ということもあり安定もしてて
長く勤めれば給料も多そうと思い
期待してその企業に就職しました。
一人暮らしと
工場で働く生活が
スタート
働いてみると
・残業当たり前
・夜勤がある
・給料今までと変わらない
・肉体的にめちゃきつい
・長く勤めてても給料そんなに上がらない
期待外れでした。
人生を恨みましたね。
「僕の人生こんなもんか…
華やかさも何もない
味気なくつまらない人生」
人生を卑屈にとらえて
自分をなぐさめました。
人生あきらめムードでしたね。
「辞める?
辞めたところで行く当てもないしな…」
そう思って続けることにしました。
このとき24歳。
大学に行くには遅すぎると思いました。
なにか他の形でコンプレックスを
解消しようと思いました。
解消するためにも学歴コンプレックスを
なんで抱えているのか分析してみました。
『人よりも勝っていたい』という気持ちが
大きくありました。
コンプレックスを受け入れることは
失敗だったので
学歴コンプレックスを
『人よりも勝っていたい気持ち』
に変えることにしました
人に自慢できて誇れるような
仕事をしようと思いました。
興味のあることを書き出して考えました。
車、イラスト、洋楽、和菓子etc…
現実的に頑張れば出来そうなことを
やってみようと思いました。
和菓子職人になろうと思いました。
実際に作ったりもしましたが
「なんか違うな…」
結局面倒くさくなって諦めました。
洋楽に興味があったのですが
さすがに曲は作れないので
代わりに英語を学ぼうと思いました。
塾に行ったりして70万つぎ込みました。
長く続けましたが結局身につかず
「あれ、なんでやってるんだっけ?」
続けている理由が分からなくなり
ゴールを見失い辞めました。
工場では劣等コンプレックスを
解消してくれる
運命的な出会いがありました
工場初日。
僕は係長からこれから働くこととなる
作業場を案内されました。
「加納さん。今日から一緒に
作業してもらうことに
なったたか君だから。
よろしくだわ。
仕事教えてやってな。」
「たかです。よろしくお願いします。」
「お、おぉ…か、加納ですぅ。
ょ、よろしくお願いします…」
見るところ五十代前半
身長は170cmぐらい
頬はやせこけ不健康そう
ガリガリにやせていて
あいさつもしどろもどろ
見るからに自信がなさそうな人だった。
自分より明らかに劣っているので
「この人と作業するのか…
絶対にできない人じゃん。
うわ嫌だな…」
率直にそう思った。
完全になめていました。
でもこの方が後に僕の
劣等コンプレックスを
解消してくれる重要な
キーマンになります。
加納さんはコンプレックスの
解消方法を教えてくれません。
加納さんを見て気づきを得ることで
教わっていきました。
加納さんと出会っていなければ今も
劣等コンプレックスを抱えていた
かもしれません。
僕は加納さんと二人一組になって
毎日作業をすることになりました。
加納さんは本当にできない人でした。
きつく当たられるとすぐへこむし
よく体調が悪くなって家に帰るし
教えてもらったのに僕の方が分かるように
なって逆に仕事を教えてあげました。
周りの人たちも加納さんの仕事のできなさ
加減は周知していました。
そんなメンタル弱よわの加納さんでしたが
不思議と楽しそうに生きていたんです。
僕は衝撃的な光景を目の当たりにしました。
と言うのもある日のこと
いつも通り作業していると
いきなり加納さんが
チアガールのダンスみたく
踊り出しているではありませんか。
それを僕が目撃するや否や
恥ずかしがって慌てて
なかったことにしてたんですよ。
笑ったら失礼だから
表情には出しませんでしたが
心の中では笑ってました。
「なんでこの人は自分より劣っているくせに
楽しそうに生きていて自分は楽しく
生きれてないんだろう?」
そう思いました。
ここで気づきを得ました!
「そうか!分かったぞ!
たとえ人より劣っていても
自分自身が楽しんでいれば
それでいいんだ。
人にどう思われているのかだとか
人と比べるとかしなくていいんだ!」
人にどう思われているのかを考えている
自分がバカバカしくなりました。
今まで人にどう思われているのかとか
人からの評価ばかり気にしてました。
これが間違いだったんです。
その日から数日自分自身と
向き合って考えました。
「学歴が低くてもおもしろおかしく
生きていていいんだ。
人の目を気にしなくても幸せに
暮らしていいんだ。
加納さんでも楽しめているんだから
僕だって楽しんでいいんだ。」
自分を許すことで
高揚感と安心感が起こり
「僕はこのままでいいんだ!」
「あ~、人と比べない方が今までの
モヤモヤが晴れて幸せに暮らせるな。」
そう思えて自分自身の
ありのままを受け入れる
ことができました。
そのときの感覚はあたかも
長年患ってきた鼻づまりが一気に
解消するときの感覚でした。
その日以降は考え方が
前向きになりましたね。
前向きになったおかげで
自分に自信がつきました。
今までは人の目が気になってて
自分を否定する生き方
をしてきました。
だけど考え方を変えたおかげで
自分を否定せず前向きな生き方へと
変わることができるようになりました。
とてもうれしかったですね。
ハッピーな気持ちでした。
日常の些細なことでも
『他人はそんなに自分のことを見ていない』
と思えるようになって
おどおどしなくなったり
仕事でミスしたりしても
他人を意識することがないので
自分を許せるようになったりして
良い気づきが増えるようになりました。
そこからはイヤイヤやっていた仕事も
楽しく思えるようになり
自然と精を出して
頑張れるようになりました。
他人と比較しないことには成功しました。
残る思いは劣等コンプレックスの
大元でもある
『今まで本気を出すことがなかっただけで
僕は本当は優秀な奴なんじゃないか』
という思いを失くすことでした
英語を長く続けたのはこの思いに
しばられていたからです。
長く続けていても身につかず
「もう少し続けたら身につくかもしれない。
今さら辞めるのも70万も払ったのに
もったいない。」
続けるのが苦しくなりましたが
ここで辞めたら
『自分を出来損ないと認めることになる。』
それは避けたいと思いました。
コンプレックスのせいでゆがんだ
『自分を大きく見せたいプライド』が
自分を許しませんでした。
そこである日
『人生成りゆき』
『人生暇つぶし』
『学問は貧乏人の暇つぶし』
という言葉に出会いました。
落語家
立川談志氏の言葉です。
「なるほど!
人生は成りゆきで暇つぶしなんだ。」
この考えに触れたとき
自分の心をしばっていた縄が
ほどけるような感覚でした。
「どうせ暇つぶしなら
苦しい思いはしたくない。
70万払ってしまった英語学習だけど
ゴールも見失ったし辞めてしまおう。」
辞める決断ができました
劣等コンプレックスの最後に残った
『今まで本気を出すことがなかっただけで
自分は本当は優秀な奴なんじゃないか』
という思いを失くすことに成功し
「どうせ暇つぶしなら楽しく過ごそう」
人生の再スタートを切るような
前向きな感覚でした。
今では地元で会社員として働き
仕事も楽しくやって
充実した日々を送っています。
これも加納さんや考え方を変えてくれた
言葉のおかげです。
過去を振り返ってみると
あまり恵まれた環境で
育ってこなかったと思います。
そして劣等コンプレックスを
感じてしまう。
自分が幸せになるまで
大きく遠回りをしてきたと思います。
あの頃のように自分に自信がなく
そのくせ人と比べたがり
比べたかと思いきや
自分を否定するようになり
八方塞がり状態だった僕が
今では自信があり
人と比べず
前向きに生きていて
劣等コンプレックスを解消している
随分と成長したなと感じます。
長い間悩んでいた悩みが
たった一つの言葉で
解消されることがある。
僕はそれを
身をもって体験する
ことができました。
『後ろ向きな考え方』から
『前向きな考え方』
に変わったんです。
人と比べて僕はダメだと考える日々から
人と比べなくていい。
僕はありのままでいいと
自分を受け入れる日々に変わりました。
生活が楽しくなり生きている実感が
まるであの頃とは全然違いました。
考え方を変えるのに
年齢は関係ありません。
今日が1番若い日です。
人生の再スタートを切るのに
早いも遅いも関係ありません。
”人は変わることを自分で選べる”
僕は転職を繰り返したことを
後悔はしていません。
転職をしてない方が
絶対後悔していたと思います。
だって転職をしなかったら
加納さんと出会うこともなかったので。
世の中に偶然はないと聞きます。
全ては必然。
『人生成りゆき』
この言葉に出会えたのも
運命で決まっていたことかもしれません。
“思うは招く”
変わりたいと思う気持ちを
持ち続ける限り
人はいつだって変わることができます。
僕”だからできた”んじゃないんです。
僕”でもできた”んです。
誰でもできるから
自信をもって大丈夫です。
自信が全くなかった僕にもできた。
誰でも自分を変えようとすると
最初の一歩が思い切れないもの。
変わりたいという思いが
背中を押してくれます。
人の生きる時間は
思っているより短いです。
その短い間を
不幸に感じて過ごすのが長い方がいいか
幸せに感じて過ごすのが長い方がいいか
もちろん幸せに感じて
過ごすのがいいですよね。
人生はどこで終わるか分かりません。
100歳まで生きるのか
病気が見つかり余命何年と宣告されるのか
はたまた明日交通事故に会うのか
本当に分からないからこそ
今から幸せを感じて過ごす
必要があるのです。
そう、変わるなら今。
これまで抱えてきたコンプレックスを
解消してみませんか?
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・劣等コンプレックスとの向き合い方
・日常に幸せを感じる方法
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これからも有益な情報を
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みなさんからの
メッセージ
お待ちしています。
最後まで読んでいただき
ありがとうございました。
勇気をもって切り開いた未来が
明るく輝いていることを願っています。
自分を変えることができるのは
自分しかいません。
イギリスにこんなことわざがあります。
「馬を水辺に連れていくことはできるが
水を吞ませることはできない」
僕が
「悩みを解消して
良い方向へ変わってください」
と言ったところで本人の意向が
なければコンプレックスを解消
していただけない
ということです。
僕はこのブログを
読んでくれた人に
絶対にコンプレックスを
解消してほしい。
僕はコンプレックスを解消できて
本当によかったって
思っています。
これまで
読んでもらったあなたは
もうわかっていると思いますが
僕は本当に
劣等コンプレックスで
苦しんでいました。
“解消したい気持ち”を
持っていれば
悩みを解消することはできます。
最後にもう一度
『自分を変えることができるのは
自分しかいない』
僕の情報発信でコンプレックスを
解消されることを
心より願っております。
たか
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